「嫌われる勇気」
シリーズ累計1000万部を突破するほどのベストセラーとなり、舞台やテレビドラマ化もされ大ヒットした「嫌われる勇気」。
アドラー心理学について、わかりやすいように哲人と青年との2人の対話形式で書かれています。
できない「原因」を作ることで、「目的」を達成できないようにしている
本書には引きこもりの人が出てきます。
彼は外に出ようとすると不安に襲われて出て行くことができないと言います。
ですがアドラー心理学ではこれを、「外に出たくない」という「目的」が先にあって、それを実現するためにできない「原因」を作ることで、「目的」を達成できないようにしているのだと述べています。
「できない言い訳」をつくることで、自分が傷つかなくて済むようにしているのです。
他者を変えるのではなくて、自分が変わる
嫌われるよりは好かれたいのは人間である以上は当たり前の欲求ですが、他人に好かれようと努力しても、それは他人の考えであって、自分ではどうしようもないことです。
人の考え方を変えようとして変えさせるには途方もないエネルギーが必要です。
他人に誉められるためにエネルギーを使うのではなくて、自分がかっこいいと思う事を軸として、他人基準ではなく自分基準の生き方をすることが大事だと述べています。
過去に縛られず、未来に怯えず「今」を生きること
暗い過去を引きずったり、将来が不安なので貯金したり、失敗を恐れて結局やらない…。
今の自分を変えられないのは、過去や未来に影響されているからです。
過去や未来に生きるのではなく、「今」この瞬間を全力で懸命に生きることが大事です。
細胞レベルで見ると代謝によって、1年前の自分とは全てが変わっています。
肩書やレッテル、過去の思い出に縛られる必要は全くないのです。
結婚や就職などの大きな決断によって人生が決まるのではなく、今この瞬間の日々の小さな決断が人生を決めています。
なんでもない日々を全力で生き抜くことが、幸せになる最短の道です。
承認欲求を否定する
他人がどう思うのかはコントロールできません。
なので他人の評価なんか気にせず、自分が感じた正しいと思う事をするのが一番です。
あくまで他人の基準ではなく、自分が「カッコいい、美しい!」と思えることを行動基準としています。
親や上司に認めてもらいたいが、それなりの会社に入って、他人に与えられた仕事をするのではなく、ただただ自分がやりたいように生きること。
他人に認めてもらうこと、それ自体が目標になってしまってはその先には幸福はありません。
課題の分離
個人の課題と他人の課題の分離して考えます。
いくら仲がいい人だろうと他人の課題は切り捨てる。
馬を水辺に連れていくことはできても、他人が水を飲ませることはできないからです。
「縦」の関係を否定し、「横(対等)」の関係とする
先輩や後輩、上司と部下など上下の関係で考えるのではなく、年齢・性別・人種など関係なく誰とでもフラットに接すること。
対等に意見を交わすことで世界が広がります。
裏切られた事ばかりを考えていたら、結局他者と深い関係は築けない。
裏切りは他者の課題、どうすることもできないと述べています。
「幸せになる勇気」
「アドラー心理学」をわかりやすいように、青年と哲人の対話形式にして大ヒットした「嫌われる勇気」の続編。
話は前作の3年後となります。
著者は前作「嫌われる勇気」がアドラー心理学の存在を知るためのいわば「地図」のようなものだとすると、本書はアドラーの思想を実践するための「コンパス」だと述べています。
過去は存在しない
過去とは、取り戻すことができないものではなく、純粋に「存在しない」。今の自分を正しいと正当化するために、理不尽で辛かった過去も、そのおかげで今の自分があると思い込もうとする。
歴史的に見ても戦争の勝利者は、自らの正義を主張するためにいくらでも過去を書き替えています。
変わろうと思っても、なかなか変わることが出来ないのは、過去の自分を否定してしまうことを恐れているからです。
本当に変わろうとするならば、今の自分だけをみることですぐにでも別の自分になることができます。
脳はいつでも「現実と思い込み(セルフイメージ)」に一貫性を持たせようとします。
肩書やレッテル、過去の思い出に縛られる必要は全くないのです。
「叱る」という手段は教育上なんら有効ではない
言葉でコミュニケーションを取る事が煩わしくて、安易に「叱る」事により相手を屈服させようとしているだけであって、教育上有効ではないと説いています。
この人は教え方が上手だなと思える人は軒並み穏やかで、基本は笑顔がベースにあり、いつも余裕がある人でした。
「ほめて伸ばす」を否定する
また「ほめる」という行為についてもアドラーは否定しています。
「嫌われる勇気」でも語られていましたが、「ほめる」ことは相手を下に見ていることになります。
ほめられた側は、一見やる気が出て頑張っているように見えますが、「ほめられること」自体が目的になってしまいます。
そうした共同体は、ほめられることを目指した競争原理に支配されていくことになります。
自分がほめられるために相手の足を引っ張ったり、力がある人へごまをすることが蔓延していきます。
先生であれば生徒に、上司であれば部下に対して、「ほめる」ことがいいことなのか考える必要があります。
相手をありのままに認めること、「教える」側が「教えられる」側を尊敬すること
では「叱る」「ほめる」をせずにどうやって教育をするのかというと、相手を認めること、自分で判断させることです。
そのための材料を与えることまでが教育者の仕事なのだと説いています。